石川県かほく市|灯台の横にある神社
メモ
日本海の沿岸の高台に建っている神社です。
神社のすぐ横には役目を終えた小さな白尾灯台がそのまま残っています。
駐車場から空を見上げてみると鳥居と神社と灯台がかわいらしく空に映えています。
神社から海を見下ろしてみると鳥居が海に映えています。
そよ風は海が近いのできっと潮風です。
どこから眺めても空と海の広さを感じ取れるとっても気持ちのよいところですよ。
すぐ近くには鬼ヶ山公園もあります。
駐車場
恵比寿大明神の前の道路はカーブになっていて道路の敷地側に駐車場があります。
8台ほど駐車できたとおもいます。
駐車場からは里山海道の車の流れを近くで見れます。
恵比寿大明神
神社へは駐車場から階段を上っていきます。
階段の途中に鳥居が建っています。
ここからの眺めがすでに素晴らしいです。
狛犬がいますがかわいいデザインに感じました。
船のイカリのような鉄も置かれています。
恵比寿大明神の恵比寿。
恵比寿は恵比寿様。
恵比寿様は漁業の神でもあるのだ。
商売の神でもあり開運招福・五穀豊穣学業成就等のご利益もある。
参ったときはぜひお願いしてよう。
本殿は潮風が当たるためかガラス戸で防護されていました。
ガラス戸の外からお参りしました。
ここから鬼ヶ山公園へ行ける散歩道が整備されていました。公園はすぐ近くです。
夕日の時間はきっと夢想的!
白尾灯台
白尾灯台は恵比寿大明神のすぐ隣に建っています。
灯台は平成30年に廃止されていますがカタチは残されたままになっています。
役目を終えた白尾灯台の頂上の灯火部分は取り外されているのだ。
灯火部分は海と渚の博物館に展示されている。
灯台の土台にも入っていけます。
白尾灯台の変遷
大正3年3月4日 | 河北郡立白尾灯台 設置(木造) |
大正12年4月 | 七塚村立白尾灯台(河北郡から移管) |
昭和24年3月 | 白尾灯台 改築(木造) |
昭和24年4月 | 国立白尾灯台(七塚町から移管) |
昭和42年11月 | 国立白尾灯台 建替(RC構造) |
平成30年9月14日 | 国立白尾灯台 廃止 |
加賀から口能登(羽咋市・羽咋郡のあたり)までの単調な海岸線の中ほどに航路標識の必要性があったことと、ここが漁業を営む地であったことが、この場所に白尾灯台が置かれた理由だそうです。
白尾灯台のスペック
高さ | 10m |
灯高 | 25m |
光達距離 | 12海里(22.22km)(1海里は約1.852km) |
明質 | Fl(2) W 7s |
初灯 | 大正3年3月 |
補足
高さ:灯台の建物の地上から頂上までの高さ
灯高:平均水面から灯を発するレンズ中央部までの高さ
鬼ヶ山公園
恵比寿大明神と灯台のすぐ近くに公園が整備されています。
遊具は無いですがベンチが絶妙な位置に配置されています。
公園の中に石碑が2つあります。
石碑からわかったことは・・・なんだか悲しい内容でした。
・船の貿易の豪商がいた
・豪商の名前は唐仁屋三郎兵衛
・唐仁屋三郎兵衛の妻は病気で寝ていることが続いた
・唐仁屋三郎兵はそんな妻に所有する全ての船が揃った光景を見せてあげようとした
・白尾の沖に全ての持船が揃った
・持船が揃ったその夜に暴風に遭いすべての持船が沈没した
・商売の手段を失った一家は離散した
この頃から唐仁屋三郎兵衛が千石船の運送を指図した日和山を鬼ヶ山と呼ぶようになった。
医師であり歌人の岩佐健吉が唐仁屋三郎兵の妻の往診にあたっていた
歌碑は岩佐健吉が往診の帰り道に日本海に沈む夕日の絶景に感動し詠んだもの
「往診の かへりを辿る 浜の道 沖の夕焼 はつか残れり」
*はつか:かすか・ほのか
神社と鳥居と灯台が並ぶ風景
神社・鳥居・灯台の3つそれぞれが歴史を持っていますが並んでいる光景はほのぼのです。
LOCATION
住所 | 〒929-1177 石川県かほく市白尾71 |
*本文は記事投稿時の内容です