【石川県】金劔宮

金劔宮の本殿

石川県白山市|金運パワースポット神社

金劔宮はきんけんぐうと呼びます。

2025年1月12日に訪れました。左義長が執り行わていました。厳格な神社です。

(左義長のとき)駐車場待ちの車が長蛇の列です。またこの車列以外に白山比咩神社へ向かう車もたくさんいるため金劔宮前の鶴来水島美川線は大変混雑していました。

本神宮は金運のパワースポットでも有名とのことで日本の三大金運神社とも呼ばれているそうです。お守りを買う人もいっぱいいました。

本宮の敷地には地下道があり公道(鶴来水島美川線)の下に地下道が続いていて、公道の反対側へ行くことができました。そこには石清水薬師不動尊と不動滝が流れ落ちていて風情ありました。

とっても広いお宮さんではないですが散策するにはちょうど良い広さです。
秋の紅葉も見どころのようです。

金劔宮

御創立以来二千有余年を経た古社であって、古来尚武健康の 神としての尊崇が篤い。

祭神
本社の主神は瓊々杵尊で大國主神・大山咋命・日本武命事代主神・猿田彦神などを併せ祀る。
由緒
本神社の創立は崇神天皇の三年三月とす(神社蔵記録諸神記・白山記攻証)
創立
けだし鶴来町の発生と同時にこの地に鎮齎せられたもので鶴来町の古地名は劔と記し社名又古く劔宮・劔神社と唱えた。 このことは地名と社名が一致したる好個の事例である。 近世に至って専ら金劔宮と奉称した。
隆盛
中世以来白山七社の一に数えられ内、白山本宮・三宮・岩本 と共に本宮四社と称した。
神仏習合時代本社は隆盛を極め宝物殿・拝殿・講堂・宝蔵 三重塔・鐘楼・荒御前紅宮大行事乙劔(白山荘厳講記録) 等所謂七堂伽藍雲表に聳え神官社僧多く劔白山の神人衆従 として勢力を有した。應永十八年に大般若経六百巻を 出版して神前に奉納した。超街・又寛正六年に善光寺紀行を 降って文明十七年北國紀行を著した堯恵は共に本宮の住侶 社僧であった。又源義経の参拝(義経記七) 木曽義仲の 奉寮(源平盛衰記二九)の史実を始め武門武将藩主領主の 武神としての崇敬の篤かったことは諸書に明らかである。
神事
神事としては古くは競馬・流鏑馬舞童等が行われた。
又神社の神輿は白山・佐羅と共に三大神輿といい叡山を 経て時あって上洛したので京野にもその名が聞こえた。 現在十月三日・四日、秋季祭神事の神輿渡御とこれに伴う 神賑催物獅子舞(棒ふり)・名物造物等はこの神輿ぶりの 伝統を伝えその優美で勇壮な賑いは他に類を見ない。
旧社格
明治五年十一月二日郷社明治二十八年十二月二日県社に昇格。 大正十三年四月三日御創立二千年祭を、又昭和三十七年 十月五日御創立二千五十年祭を執行して現在に至っている。 一方明治三十九年境外末社・大國社・恵比須社・日吉社 大鳥社四社を合併。明治四十一年、境内末社菅原社 大正三年には村社日吉神社を夫々合祀した。
境内
境内地三千六百三十四坪
境内神社に乙劔宮・金刀比羅宮・丈六宮・粟島神社・ 金翎宮恵比須社(天地悠久の大神霊と大阪今宮戎神社 御分霊を併せ祀る)があり又、名勝として天乃真名井 (戸の池殿池明瑞水)・忍石(牛石天忍石)・義経腰掛石 岩清水不動尊がある。

金劔宮社務所・現地案内板より

目次

左義長の時期の駐車場

金劔宮に訪れる人の車でいっぱいです。
金劔宮の前の道路が混雑し駐車場に入るにはほぼ順番待ちになります。
駐車場入口付近に警備員が立哨し駐車場の入場の整理をしていて左折車のみ入場可で右折車は入場を断っていました。

左折で駐車場へ入る時は入口が公道に対して鋭角のため小型車でも一度で曲がり切らないと思います。
また段差もあるため車高の低い車(リップエアロ)は擦ってしまう恐れがあるため注意です。

お正月の時期は不明ですが同じく混み合いそうです。

社務所

お守りが販売されています。
12時から13時の間は休憩時間のためか閉まってしまいます。

御朱印

御朱印の頌布はしていませんでした。

義経腰掛石・天忍石

平たい石があります。

義経腰掛石について

源義経 奥州へ落ちのびる途次、金劔宮に でた。その折境内のこの石に腰掛け、眼下に 広がる平野や手取川を眺めたと伝えられる。 義経記巻七に、「安宅の渡りを越えて根上の 松に着き給ふ。明くれば白山に参りて 女体右の宮(白山比咩神社)を拝み参らせて、その日は 剣の権現(金劔宮)の御前に参り給ひて、御通夜 あり、夜もすがら御神楽参らせて…」と、 あるによるなり。
尚、往古 義経笈掛の松もありしと言う。
※笈(おい)=修験者や修行僧が経典や衣類を入れて背負った葛篭

金劔宮社務所・現地案内板より

天忍石(牛石)について

「社頭に影向石(ようごうせき)あり、天忍石(あまのしのぶのいし)と呼ぶ。古(いにしえ)神霊此の石頭に降臨したまへしと言う。」 (鶴来地誌明治十六年刊)より。
尚、牛石とも言う。形状小牛に似ている故なり。
影向=神仏が一時姿を現すこと

金劔宮社務所・現地案内板より

神輿

お神輿が保管されているようでした。

金劔宮神輿のいわれ

金劔宮神輿の渡御は随分古い時代から行われていたことが国史のに載っておりましてこのことも立派な由緒と申されるのであります
即ち源平盛衰記巻四の白山神輿登山(上洛)の条に出ているのか最も古いようて今から八百拾有余年前の安元二年のことでありました 白山本宮荘ごん講中記録(国宝)にも処々に記されており、喜禎元年(七五〇百余年前) 建長五年、同六年 元享二年等の記事があります
この時分、金劔宮と白山比咩神社と佐羅早松神社(吉野谷村字佐良)の神輿を三社の神輿と申しまして中でも金劔宮の神輿が非常な賑わいをもっておりました 他の二社の神輿行事は何時しかすたれましたが、金宮の神輿だけ代古来の伝統を今に残しているのであります

現地の案内板より

地下道

敷地に地下道へ続く入口があります。
出口は公道沿いと公道の向こう側ですが細い脇道もありました。

にゃーこ

地下道は神秘的で楽しかった。
地下道の先の不動滝も素敵なところだった。

不動滝

本宮の敷地から地下道へ。公道の向こう側に不動滝があります。滝が流れ落ちた池には鯉が泳いでいました。そばには東屋もありますのでゆっくりできます。

にゃーこ

不動滝は大きな滝ではないけど流れが綺麗でとっても立派だったよ。

LOCATION

住所〒920-2123 石川県白山市鶴来日詰町
金劔宮の本殿

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