石川県輪島市|海辺の杜
2025年5月下旬の記事です
石川県輪島市の海辺に、静かにたたずむ弁天社と金毘羅社。そしてその傍らに湧き出る弁天池。
この一帯は「イワサキ浜」と呼ばれ、かつて北前船が寄港した歴史を今に伝えています。
北前船とともに栄えた港
江戸時代から明治初期にかけて、輪島港は「親の港」と呼ばれ、「三津七湊(さんつななそう)」のひとつにも数えられる重要な港でした。北前船が日本海を往来し、物資と文化を運んでいた時代、この地もまたにぎわいに包まれていたのです。

弁天池は当時、港に入った船の給水池として利用されていたと伝えられています。また、弁天社と金毘羅社の二つの小宮は、船問屋の守護神としてまつられ、船乗りたちの信仰を集めていました。


昭和の記憶「辰悦丸」の寄港
昭和61年には、「昭和の北前船」として復元された辰悦丸(しんえつまる)がこの港に寄港。イワサキ浜では盛大な歓迎行事が行われ、港町の歴史と文化を改めて見つめ直すきっかけとなりました。
令和6年能登半島地震と奥能登豪雨による被災
しかし、令和6年に発生した能登半島地震と、その後の奥能登豪雨により、この地は大きな被害を受けました。
金毘羅社は残念ながら姿を確認することができず、背後には崩れた岩肌がむき出しとなり、自然の力の恐ろしさを感じさせます。
一方で、弁天社と弁天池は奇跡的に残っており、被災地の中にあって人々の心の支えとなっています。


大地が揺れ、海が荒れたその中で、神様のいる場所が生き残った…それはきっと、私たちへの希望のしるしなのかもしれません。
壊れたものの中に、残されたものが語る力強さ。
それは、過去と未来をつなぐ小さな光となって、人々の心を支え続けています。
2025年5月のようす
2025年5月下旬現在、弁天社の前には復旧工事によって排出された瓦礫が積み上げられ、鴨ヶ浦への道も閉ざされたままです。かつての静かな浜辺の風景は、いまもなお回復の途中にあります。


祈りをつなぐ風景
この地に流れていた歴史や信仰、そして暮らしの記憶は、たとえ建物が失われても、人の心の中に息づき続けます。
いつの日か、北前船がにぎわったころのように、人々が安心して訪れ、海を眺めることができる風景が戻ることを、心から願っています。

LOCATION
住所 | 〒928-0071 石川県輪島市輪島崎町1-5 |
*本文は記事投稿時の情報です