プロローグ
能登の深く青い海からやってきた、ひとりの魚の王子様がいた。その名はプク丸ちゃん。かにの姿をした「かにこ隊長」と一緒に「世の中を明るく照らす」をモットーに、各地で笑顔を届ける人気のゆるキャラである。プク丸ちゃんの着ぐるみは、実は全て手作り。より多くの人に喜びを届けるため、彼は常にその着ぐるみを改善し続けており、この夏、金沢の地に降り立ったのも、三代目となる最新バージョンだった。
「目が良くなったんだ!」
2025年の春、大阪府泉佐野市で開催された「ご当地キャラEXPOinりんくう2025」。ステージに立つプク丸ちゃんは、集まった観客に嬉しそうにそうアピールした。彼は実際に喋ることができる、珍しいゆるキャラなのだ。プク丸ちゃんは、最前列にいた観客のひとり、「つばめ」の目の前まで迫り、輝くような瞳で自信たっぷりに付け加えた。
「観客の顔も、はっきりと認識できるようになったよ!」
その言葉からは、彼の着ぐるみが三代目へと刷新され、これまでの課題であった視界が飛躍的に改善されたことが見て取れた。新しいプク丸ちゃんは、よりクリアな視界を手に入れ、観客一人ひとりの笑顔をしっかりと捉えることができるようになったのだ。
第1話:舞台の幕が上がる
2025年7月26日、金沢市民球場に陽が傾き、長い影がグラウンドに伸びていた。夏の猛暑は容赦なく、そして観客席は期待に沸き立っていた。日本海リーグに所属する石川ミリオンスターズが、お笑い芸人のはなわが率いる草野球チーム「HANAWA ROCKS」と対決するこの試合は、ただの交流戦ではなかった。タイトルは「HANAWA ROCKS vs 石川ミリオンスターズ交流試合~歌と笑いで石川を元気に~」。令和6年の能登半島地震からの復興を願うチャリティーゲームだった。
石川ミリオンスターズは、「加賀百万石」にちなむ地元の誇りを背負ったプロ野球チームだ。しかし、この日の主役はプロ選手だけではなく、能登地方を象徴するゆるキャラたちもそうだった。代打として登場したのは、和倉温泉の「わくたまくん」、珠洲市の「みつけたろう」、そしてチームマスコットの「タン坊」と「スタ坊」。中でもひときわ目立つのが、色鮮やかなシルエットで日差しに輝く能登在住の「プク丸ちゃん」だった。かにこ隊長に見守られながら、プク丸ちゃんはバッターボックスへと向かった。
第2話:プク丸ちゃんの礼儀
試合は中盤、HANAWA ROCKSが2点リードしていた。実況者は「かなりカラフルなゆるキャラが登場しました!」と声を上げ、プク丸ちゃんの登場を告げた。ピッチャーはHANAWA ROCKSの監督でもあるはなわ。YouTubeでリアルタイム配信される中、観客の視線がプク丸ちゃんに集まる。
プク丸ちゃんはまず主審に丁寧に挨拶し、主審も微笑みで応えた。続いてピッチャー、キャッチャー、野手へと次々に挨拶を始めた。はなわは投球フォームを中断し、プク丸ちゃんの礼儀正しさに笑顔で応じた。実況者が「礼儀正しいですね! いろんなところに挨拶しています!」と感嘆の声を上げると、観客席からも温かい笑いが広がった。
だが、誰もが気になっていたのは、プク丸ちゃんの視界だ。あの大きな気ぐるみの中で、どれだけ周囲が見えているのだろうか? プク丸ちゃんは「短い右手」でしっかりとバットを握り、ピッチャーを見つめていた。その姿は、まるでどんな困難にも立ち向かう決意を秘めているようだった。
第3話:限界を超えた一打
第1球。ピッチャーであるはなわは振りかぶらず、そっとボールを投げた。プク丸ちゃんは大きくバットを振ったが、空振り。観客席からどよめきが上がる。
第2球。プク丸ちゃんは再びバットを振り、勢いでよろめきながらも踏ん張った。主審の判定はファウル。「惜しい!」と実況者が叫ぶ。
はなわの脳裏には、快心の空振りの感触が確かにあった。キャッチャーミットに収まるボールの乾いた音と、プク丸ちゃんのバットが空を切る風切り音。響き渡ったのは、主審の拍子抜けするほど間延びした声だった。
「ファーウル!」
はなわは、思わずマウンドから主審を睨みつける。だが、その視線の先にあったのは、にこやかに微笑む主審の顔と、その傍らで、丸々とした体に、クリクリの大きな目をしたプク丸ちゃんの姿だった。
プク丸ちゃんは、懸命にバットを振った。そのバットは、ボールには当たらなかったが、その一生懸命さが、主審の、そして実況者の心を掴んだのだろう。
はなわは、すぐに主審の意図を理解した。プク丸ちゃんが空振りしても、それは「ファウル」として許される、そんな温かい空気が球場を包み込んでいた。
はなわは、次の球を投げるべく、やさしい投球モーションにはいった。
第3球。またもファウル。プク丸ちゃんの片膝が地面に落ちそうになり、観客は息をのんだ。はなわは首をかしげ、まるで「どう投げればいいんだ?」と楽しそうに考えているようだった。その表情には、打たせてあげたいという優しさと、ゲームを楽しむ軽やかさが混在していた。
第4球。ボールがバットに軽く当たり、ベース付近にポトリと落ちる。主審が両手を上げ、ファウルのコール。だが、その瞬間、跳ね返ったボールがプク丸ちゃんの胴体に当たり、1塁方向へ転がった。
プク丸ちゃんはバットに当たったわずかな手応えと観客の歓声に押され、1塁へ全力でダッシュした。「ファウルで自打球です! ああ、でもコールが聞こえないのか、ゆるキャラ走り続けます!」と実況者が叫ぶ。プク丸ちゃんにはファウルのコールが届いていなかった。彼にとって、1塁を目指すのは当然のことだった。
「これはかなりカロリーを使っています!」と実況者が状況を確かに伝える中、プク丸ちゃんは懸命に走った。1塁に到達した瞬間、副審と選手たちが迎え入れ、プク丸ちゃんは両足をベースに乗せてほっと一息ついた。だが、ファウルだったことを知り、潔くバッターボックスへ戻り始めた。塁間の28メートルを往復するその姿に、観客は心配と賞賛の目を向けた。
「今のでかなり熱量を消化したのではないかと思われますが…」と実況者が心配する中、プク丸ちゃんは走るのが得意だった過去を思い出させるように、軽快にバッターボックスへ駆け戻った。「けっこう足があります、このゆるキャラ!」と実況者の観察力に、観客もプク丸ちゃんの底力に驚かされた。
第4話:限界の先へ
バッターボックスに戻る直前、プク丸ちゃんの足取りが一瞬遅くなった。いつもの彼なら最後まで走り切ったはずだと、ある観客の心に不安が広がる。かにこ隊長が駆け寄ったが、プク丸ちゃんは落ちていたバットを拾い上げ、疲れを感じさせない堂々とした姿でバッターボックスに立った。その姿に、実況者は「バットを拾い直しました! (落ちているバットが)見えてるんですね!」と興奮気味に実況。プク丸ちゃんの卓越した身体能力に加え、着ぐるみの精巧な作りにも驚きの声を上げた。
第5球。はなわの投球はさらに優しく、まるで当ててほしいと願うかのようだった。だが、ボールはまたもファウル。プク丸ちゃんからは、はなわから投げ出されるボールはどのように見えているのだろうか。
第6球。プク丸ちゃんは大きくタイミングを外し、バットを振った勢いで両手を地面についたようにも見えた。観客は「もう限界だ」と感じた。プク丸ちゃんの視界では、投手のフォームは見えても、ボール自体が見えていないのかもしれない。
第7球。無念の空振り。主審はプク丸ちゃんの体力を気遣うように、バッターアウトを宣告した。プク丸ちゃんは手を振って挨拶しながらグラウンドを去った。にこやかな表情はより輝いているように見えた。出塁は叶わなかったが、その粘り強い姿勢に、観客席からは大きな拍手が沸き起こった。
第5話:能登の心
プク丸ちゃんは、通常のパフォーマンスを5分間に制限している。20kgもある夏場の気ぐるみ内は50℃を超える過酷な環境だ。それを知る観客は、プク丸ちゃんの挑戦がどれほど勇敢だったかに胸を打たれた。彼は限界を超え、能登の復興を願う思いをバッターボックスで表現していた。
他のゆるキャラたち—わくたまくん、みつけたろう、タン坊、スタ坊—もまた、能登の誇りを胸にバッターボックスに立ったはずだ。彼らはただのゆるキャラではない。地震で傷ついた故郷を元気づけるため、懸命にバットを振ったのだ。
第6話:未来への一歩
プク丸ちゃんの走りは、1塁ベースに届かなかったかもしれない。だが、彼の全力のプレーは、能登の復興への希望を確かに届けた。いつか、プク丸ちゃんが盗塁を決め、観客を沸かせる日が来るだろう。それまで、彼の勇気と礼儀正しさは、観客の心に刻まれ続ける。
能登のゆるキャラたちは、笑顔と情熱で石川を元気にした。この試合は、ただの野球ではなく、復興への一歩だった。プク丸ちゃんの最後の挑戦は、能登の未来を照らす光となったのだ。
エピローグ
目が良くなったんだ!―――。
プク丸ちゃんが1塁ベースからバッターボックスに戻っている途中に、プク丸ちゃんの行動をいち早く先読みした人物がいた。そう、かにこ隊長だ。彼女は、地面に落ちているバットが気になっていた。
観客である「つばめ」は、プク丸ちゃんの視界は、他のゆるキャラよりも良く見えると漠然と思っていた。事実、りんくうのイベントでプク丸ちゃん自身もそう言っていたからだ。しかし、体力の限界を迎えながらも落ちているバットを難なく拾い上げたプク丸ちゃんの姿を見て、かにこ隊長は思わず引き下がった。
プク丸ちゃんは何気なく短い手でバットを拾い上げたように見えたが、大きな着ぐるみが、はたして地面に落ちているものを、容易に拾い取れるものだろうか? 三代目となるこの気ぐるみが完成してからも、プク丸ちゃんの短い手に何かを持たせようとするときは、必ずかにこ隊長が誘導して持たせていたのだ。先週のカラオケイベントの抽選会でもそうだった。
プク丸ちゃんがバットを拾えたのは、彼の卓越した集中力による、まるで偶然のような出来事だったに違いない。かにこ隊長の予想を超えた出来事に彼女は思わず引き下がったのだ。
つばめは憶測する。プク丸ちゃんの視界は良くなっても、短い手元は、きっと見えづらいのではないか。もしそうであれば、ボールをバットで打ち返すことは、想像を絶するほど困難なことだ。ゴルフやテニスを例にとっても、正確な打撃には手元のボールを目視することが不可欠だ。
それらの全てが、つばめの憶測だけであったとしても、つばめの心の中には、プク丸ちゃんの、決して諦めない力強さが、確かに刻み込まれたのだった。

本書は、2025年7月に開催された「HANAWA ROCKS vs 石川ミリオンスターズ交流試合~歌と笑いで石川を元気に~」 能登半島地震チャリティゲームの様子を記事にしたものです。この物語はノンフィクションで事実に基づいています。
〈参考文献〉
『能登復興チャリティゲーム2025 石川ミリオンスターズvsHANAWA ROCKS』 YouTube
『プク丸ちゃん』 X
『かにこ隊長 プク丸ちゃんマネージャー』 X
『プク丸ちゃん&かにこ隊長』 おでかけ北陸
『プク丸ちゃん&かにこ隊長(簡易版)』 おでかけ北陸
『北陸で見つけたゆるキャラ』 おでかけ北陸
(解説)
野球場に咲いた、能登の希望──「プク丸ちゃん、炎のバッターボックス」を読み解く
にゃーこ(つばめの友達)
2025年7月26日、金沢市民球場の夕陽がグラウンドに長い影を落とす中、ただの野球試合ではない、ひとつの物語が紡がれた。日本海リーグの石川ミリオンスターズと、お笑い芸人はなわ氏率いる草野球チーム「HANAWA ROCKS」のチャリティーゲーム。その名も「HANAWA ROCKS vs 石川ミリオンスターズ交流試合~歌と笑いで石川を元気に~」。令和6年能登半島地震からの復興を願うこの一戦は、形式的な交流戦を超え、人間の、いや、キャラクターたちの精神のありようを問う舞台となった。
ユーモアの奥に宿る真摯なメッセージ
本書が描くのは、代打として登場した能登のゆるキャラ、プク丸ちゃんの打席での奮闘である。実況者の朴訥な驚きと観客の温かい笑いに包まれながら、プク丸ちゃんはグラウンドに立ち、まずは主審、そして投手、捕手、野手にまで丁寧に挨拶を重ねる。この「礼儀正しさ」は、単なる愛嬌に留まらない。被災地の復興が求められる中、秩序と敬意をもって事に臨むという、能登の人々の真摯な姿勢を象徴しているかのようだ。YouTubeでのリアルタイム配信という現代的なメディアの舞台で、この古典的な礼節が放つ輝きは、多くの視聴者の心に深く刻まれたに違いない。
そして、その後の打席での連続ファウルと、ファウルの判定にもかかわらず一塁へ全力疾走する姿は、この物語の核心をなす。過酷な気ぐるみ内の環境、そして限られた視界。その中で、本能的に、あるいは無意識のうちに「前に進もうとする」プク丸ちゃんの姿は、まさに逆境に抗い、前へと進もうとする能登の精神そのものではないか。実況の「かなりカロリーを使っています!」「けっこう足があります、このゆるキャラ!」という言葉は、そのひたむきな努力への賞賛であると同時に、ゆるキャラという存在が持つ「限界への挑戦」を浮き彫りにする。
敗北の中に見出す、真の勝利
プク丸ちゃんの打席は、最終的に空振り三振という結果に終わる。しかし、この「敗北」こそが、物語に深みを与えている。彼は出塁こそ叶わなかったが、その粘り強さ、ひたむきさ、そして何よりも「能登を元気にしたい」という純粋な思いは、観客席からの万雷の拍手となって返ってきた。通常のパフォーマンス時間を超え、重量20kg、50℃を超える気ぐるみ内で奮闘したプク丸ちゃんの姿は、被災地の人々が日々直面している困難を乗り越えようとする姿と重なり、共感と感動を呼んだに違いない。
わくたまくん、みつけたろう、タン坊、スタ坊といった他のゆるキャラたちもまた、それぞれが故郷の誇りを胸にバッターボックスに立ったことだろう。彼らは単なるゆるキャラではなく、被災地とそこに暮らす人々の「顔」であり、「希望」なのである。
未来への光──「走る」ことの意味
物語の終盤、「プク丸ちゃんの走りは、1塁ベースに届かなかったかもしれない。だが、彼の全力のプレーは、能登の復興への希望を確かに届けた」という一節は、本書のメッセージを端的に表している。野球における「走る」という行為は、得点に繋がるだけでなく、前進すること、諦めないことの象徴でもある。いつかプク丸ちゃんが盗塁を決め、観客を沸かせる日が来るだろうという未来予想図は、能登の明るい未来への確信に他ならない。
このチャリティーゲームは、単なるスポーツイベントを超え、エンターテインメントの力、そしてゆるキャラという存在が持つ「やさしい社会貢献」の可能性を示した。プク丸ちゃんの奮闘は、能登の復興への道筋を照らす、力強くも温かい光となったのだ。本書は、困難に立ち向かうすべての人々に、勇気と希望を与える一冊として、高く評価されるべきである。
2025年7月
おでかけ北陸つばめ文庫
プク丸ちゃん、炎のバッターボックス
(ぷくまるちゃん、ほのおのばったーぼっくす)
2025年7月27日 第1版発行
著書 つばめ
発行人 にゃーこ
発行所 おでかけ北陸
印刷・製本 にゃーこ
本書の無断転載・複製を禁じます。
乱丁・落丁本はお取り替えいたします。
odekakehokuriku 2025

